フェンシング
- 2019.06.29 Saturday
- 11:29
上の図は、有名なフェンシングシーンです
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何が有名と言うと、
中は、ジョゼフ・ブローニュ・シュヴァリエ・ド・サン=ジョルジュ(Joseph Boulogne Chevalier de Saint-Georges)
1745年ー1799年
フランス出身のヴァイオリン奏者で作曲家
グアドループ島でプランテーションを営む地主とオォロフ族出身の奴隷の女性の間に生まれた。"ド・サン=ジョルジュ"という姓は、父が貴族の家柄ではないにもかかわらす勝手に名乗ったものである。
8歳のときに父によりフランスで育てられ、ジャン=マリー・ルクレールにヴァイオリンを、フランソワ=ジョセフ・ゴセックに作曲を教わって頭角を現し、コンサートマスターや指揮者として活躍。その他にもダンスやフェンシング、乗馬でも名を馳せた。1787年にはロンドンでシュヴァリエ・デオンとフェンシングの試合をし、激闘の末敗れている。(上はこの時の図)
下は、
シュヴァリエ・デオン(Chevalier d’Eon)
1728年ー1810年
フランスの外交官でスパイ、兵士でありフリーメイソン会員
本名シャルル・ジュヌヴィエーヴ・ルイ・オーギュスト・アンドレ・ティモテ・デオン・ド・ボーモン (Charles-Geneviève-Louis-Auguste-André-Thimothée d’Éon de Beaumont)生涯の前半は男性として、後半を女性として生きた。
デオンはブルゴーニュ地方のトネール(現在のフランス・ヨンヌ県の町)で弁護士ルイ・デオン・ド・ボーモンと、貴族出身の妻フランソワーズの息子として生まれた。
デオンの幼少期については、彼ののちに書かれた自伝からしか知り得ることができないため、その信憑性には疑問が多い。
彼はのちに、自分は女性として生まれたが、父親は息子が生まれた場合にのみ婚姻で得られる財産を相続出来るため、自分を男として育てたと主張した。
デオンはぬきんでた優秀さで、1749年にパリのコレージュ・マザラン(パリ大学の一部。正式名コレージュ・ド・カトル=ナシオン)を卒業した。
彼は財務部署の王室監査官として働いた。
デオンはいつも竜騎兵の制服を着ていたという事実にも関わらず、彼は本当は女性ではないかという噂が後を断たなかった。
彼の性別について、ロンドン証券取引所で賭けの寄り合いが始まった。
1774年にルイ15世が亡くなると、彼は帰国の交渉を始めた。彼は自分は身体的にも男性ではなく女性であると主張し、政府に彼を女性と認めるように要求した。
ルイ16世と政府はデオンの要求を全て受け入れ、彼に女性の服を着用するよう命じた。
王は新しい服を購入するための資金を与えデオンは承諾した。
1777年にデオンは帰国し、以降は女性として暮らし始めた。しかし、相変わらず軍服を好んで着用するデオンに、事情を知らないフランス王妃、マリー・アントワネットから、「ドレスもなく男装しているのは気の毒だ」と同情を買い、彼女が贔屓にしているローズ・ベルタン嬢デザインのドレスが贈られている。
フランス政府がアメリカ独立戦争援助を始めると、デオンは自分がアメリカでフランス軍に加わることはできるか尋ねた。彼はデイジョンの城に19日間投獄され、故郷トネールで6年あまりを母親と過ごした。
カールトン・ハウスでシュヴァリエ・ド・サン=ジョルジュとフェンシングの試合をするシュヴァリエ・デオン(1780年代末頃)上の図
1779年、デオンは回顧録『軍人の生涯、外交官そしてデオン嬢の私生活(La Vie Militaire, politique, et privée de Mademoiselle d'Eon)』を発表した。
これは友人ラ・フォルテールの代筆によるものだが、おそらく話に尾ひれがつけられていただろう。
1785年にデオンはイギリスへ戻った。
フランス革命後は年金を失ったため、蔵書を売らなければならなかった。
1792年、彼はフランス国民議会に書簡を送り、ハプスブルク家との戦いに女性兵士師団を用いるよう提案したが拒絶された。
1796年に重傷を負うまで、デオンは生活費稼ぎのためにフェンシングの試合、見せ物としての決闘に参加した。
1805年に彼は自身の自叙伝の契約を結ぶが、これが世に出ることはなかった。
晩年には神経痛・リューマチを病み、ロンドンでコール夫人というイギリス人を夫に持つフランスの未亡人とともに過ごした。
シュヴァリエ・デオンはロンドンで1810年5月21日に死亡。
死後に検死した外科医は、彼は解剖学上は男性であることを明らかにした。
デオンが葬られたロンドンの墓所は不明である。
デオンの子孫は現在もフランスに存命している。