ジョゼフ・ブローニュ・シュヴァリエ・ド・サン=ジョルジュ
- 2022.12.28 Wednesday
- 15:13
女装スパイのシュヴァリエ・デオンとの伝説的な決闘
カールトン・ハウス、ジョージ王子の家、1787年、ロンドン
先日、ご紹介した
ジョゼフ・ブローニュ・シュヴァリエ・ド・サン=ジョルジュ
彼の曲を探してみました、(上)
「黒いモーツァルト」の名がよくわかります
歴史の中に消えていた彼ですが、
近年ますます注目されています
(下)の図
ヴァイオリン奏者、作曲家だけでなく、
天才ボクサーとしても有名だった彼を描いた図です
シュヴァリエ ジョージとイギリスの兵士ジョージ ハンガー大佐の有名なボクシングの試合 1789 年
背景では、女装したスパイのシュヴァリエ・
情熱の庭師
- 2021.12.30 Thursday
- 11:16
1997年にみすす書房様から刊行されています
装丁のデザインにひきつけらてました〜
内容も興味深々、今から読むのが楽しみです!!
(以下HPからから)
著者は、ドイツの詩人ボルヒャルトであり、自身庭づくりに心を注いでいた著者の思いが、詩的な文章で全編にわたり表現される。言い換えるなら、ボルヒャルトは造園するように文学作品を著し、詩作をするように庭作りに励んだのだった。
また、厖大な花の便覧では育て方その他が詳細に綴られ、実用書としても工夫されている。
とはいえ、本書は園芸書でもなければ庭園史でもない。真の「庭園文学」の姿が、ここにある。
詳細はこちらです👉https://www.msz.co.jp/book/detail/04704/
ブールダルー
- 2020.09.11 Friday
- 10:46
ブールダルーとは?
「18世紀の巨大なドレスを着ていたとき、女性は一体どのようにして安心したのか」
選択肢がほとんどなく、18世紀には公衆トイレが存在しなかったため、ここで問題を解決しました!
18世紀の女性はパンツをはいていませんでした
ジョージ王朝時代の直前、彼らはチャンバーポットを備えていましたが、それを公共の場で使用するのはあまり実用的ではなかったため、彼らは「ブルダルー」と呼ばれる物を考案しました
噂では(証拠はないようです)、この名前は、イエズス会の司祭であるルイブールダルー(女性が何時間も続くことができるほどの長いスピーチをした)のおかげで進化したというものでした
それは一端が隆起したハンドルつきのボート型の器であり、少しグレイビーボートのようで、メイドは、これを運び、使用後に空にすることが期待されました
メイドがいなかった場合は、自分で対処しました
それは立って使用するように設計されていたのですが、簡単には使用できないようです
高価な陶磁器製を買う余裕がなかった場合は、ブリキと革のものが入手可能でしたが、そのよいなものは現存していません
下の図は、François Boucher画「La Toilette intime(Une Femme qui pisse)」
飲み物の効用
- 2017.09.14 Thursday
- 11:41
1705年にロンドンで刊行された『熱い飲み物についてのアドバイス』
熱くしたコーヒー、ココア、紅茶、ブランデー、アルコールについての効用と
飲んで良い体質の人、又飲むと害のある人など詳しくアドバスしています
18世紀の暮らし
- 2017.08.10 Thursday
- 18:59
エドワード・ヴァレル・ルーカス著「お店の本 - The Book of Shops」から
フランシス・ドンキン・ベッドフォードの絵を多色石版画(クロモリトグラフ)にしています
ヴィクトリア時代の散髪屋さん
めずらしい最新の電動ブラシを使用しています
18世紀のイギリス
- 2016.06.29 Wednesday
- 10:45
こちらは、1773年マンチェスター刊行の『人間の情熱の詳細描写 - Human Passions Delineated』からの銅版画図譜です
当時の様々な残酷?な日常の場面が描かれています
歯科医が患者へ治療している場面です
この本は、後日HPで販売予定です〜
ぜひお手元に!!
18世紀のロンドン
- 2016.01.21 Thursday
- 09:38
1800年代のロンドン、テムズ川で
今はないことですが、この時代テムズ川が完全に凍ってしまうことが度々ありました
この地の漁師は、収入源をなくし、歩いて物乞いをしてしのいでいました
手には、漁師である証として網やオール、バケツなどを携えていました
18世紀のロンドン
- 2016.01.20 Wednesday
- 09:53
手にたたんだ傘を持った後ろ姿の男性の正体は・・・・
カウント・ジョン・テオドラ・ヴェルディオン
ドイツ王室に生まれた女性でしたが、30年もの間、ロンドンで男性として生きていました
ロンドンでの彼女は、ドイツ人学者で本の売買業をしていました
女性一人、仕事をするには都合がよかったのだと思われます
名前のテオドラは女性名なので、普段はジョンを名乗っていました
残念ながら不覚にも病気になり病院で女性だとバレてしまいました〜
18世紀のロンドン
- 2016.01.19 Tuesday
- 09:14
銅版画で見るロンドンです
1796年のロンドン、レドンホール・マーケットの様子
左から肩や手にたくさんの肉を抱えた、オールド・ポートゥリー(鶏肉専門店)と呼ばれた男、黒人の使用人を横に連れています、彼の販売する鳥肉は古いもので、半分腐っているものが多く有名でした
絵の中心には、果物を買っているトルコ人、先のとがった靴と頭のターバンが特徴的です
右手は、おもちゃを売っている中国の男性、ピックテールと呼ばれた腰まで下がった長い直毛の黒髪が特徴です
すでに国際都市の様子を見せています
マンゴー・マカロニ
- 2015.07.17 Friday
- 10:02
彼の名前は、ジュリアス・スービーズ
(1754年-1798年)
奴隷から解放されたイギリス人の黒人
彼は、カリブ海のセント・キッツに生まれた、ジャマイカ奴隷の息子でした
10才の時にイギリス海軍大佐ダグラスに買われました
1764年にクイーンズベリー公爵夫人への贈り物とされました
彼はたちまち人気ものになり、着飾り、社交場へと連れていかれました
当時は、着飾ったかわいい黒人の子供は、貴族やお金持ちのペットのような持ち物として流行っていました
徐々に大人になってきた彼は、周囲からの羨望の眼差しから優越感を得るようになりました
本人も自分をプリンスと呼び、もてはやされました
最高のファッションにステキな部屋、上流社会の人々と交流し教養の得ます
公爵夫人との性的関係も噂されました
若くてハンサムな彼はフェンシングの名手になり有名になることで特権階級(セレブ)の黒人となりました
セレブになることで奴隷解放されましたが、美少年の魅力を失い成人男となったことでマスコット性が消えたことでパトロンを失ったことでもありました
しかし自由な生活は生活の保障を失うとこを意味しロンドンでの生活苦から、インドへとチャンスを求め旅立ちました
彼が旅立った2日後に元の持ち主であった公爵夫人は死亡しました
インドのカルカッタで乗馬学校を設立後、落馬事故で負傷し死亡しました