出版社
- 2016.07.21 Thursday
- 07:29
先日に続き・・・・詩人であり、アーティスト、ジョン・コリアーによる風刺漫画です
18世紀の本からの安い海賊版
コピー業者たちは、イングランドの北部地域で取引していました
ボクサー
- 2016.02.10 Wednesday
- 10:11

彼は、当時の最新科学に基づいたテクニックで革新的なボクシング法で有名でした
しかし、1815年に勇敢だけな水夫、スクロギンスに負けてしまいました
200年前のロンドン
- 2016.02.05 Friday
- 09:50


靴屋のテイラーさん、
彼は、盲目ですが、靴の修理をしてお金を得ていました
サフラン・ヒルの6に住んでいて、ホワイトホールとトッテナム・コート通りで働いていました
200年前のロンドン
- 2016.02.02 Tuesday
- 09:11


彼は、ロンドンで有名な乞食です
彼は、俳優のごとく場所場所で2つの乞食を演じ分けしていました
一カ所では、マッチを売る貧乏人、もう一カ所ではナポレオン戦争の負傷者の水夫でした
200年前のロンドン
- 2016.01.30 Saturday
- 09:24


パイプで配管した天然ガスを使ったガスランプがすでに1817年のロンドンにありました
彼の仕事は、毎晩ハシゴで点灯して、翌朝にも毎日、消灯して回っていました〜
200年前のロンドン
- 2016.01.28 Thursday
- 09:34


バガボンドとは、乞食の事です
ロンドンでエリザベス一世時代、現実にストリートに生きていた人々を紹介しています
彼は、人々から注目され、同情でお金を得るために、口に石鹸を入れて口のまわりを泡だらけにして精神病を装っていたのです
19世紀のロンドン
- 2015.12.08 Tuesday
- 20:44

1841年 ジョセフ・ミード社 ロンドン刊行から
ハンター博物館
イングランド王立外科医師会



外科医ジョン・ハンター(1728年-1793年)
ハンター博物館は、先駆者スコットランドの外科医ジョン・ハンターによって設立されました
コレクションが大部分は外科的見本と身体的な異常体形などで、それらの博物学標本(恐竜や絶滅したドードーの骨格など)の多数のコレクションを含んでいます
この時代は、多くの他の外科医同様、解剖学用の検体(死体)が不足していました
死刑囚の死体だけでは、足りなく、
ジョン・ハンターは死体泥棒達からの死体を闇で購入して、若い外科医大学の学生に解剖用教材として提供していました
レスター・スクエアの彼の豪邸は、表向きには上流社会の友人の見せかけの豪華な玄関がありましたが、それとは別に裏口があり、暗くなると、泥棒が死体を運んでくるための大きな別のロビーがあったそうです
作家ロバート・ルイス・スティーブンスンは、彼の著書「ジキル博士とハイド氏」を執筆するうえでハンターの影響があったとされています
地位と名誉ある外科医と闇の死体のディーラー・・・・・
19世紀のロンドン
- 2015.12.03 Thursday
- 09:14

1841年 ジョセフ・ミード社 ロンドン刊行から
大英博物館です

ハンス・スリーン伯爵
71,000の博物学見本、本とコインの膨大なコレクションを収納する目的で作られました〜
19世紀、大英博物館は、実物の乾燥植物標本や、動物の剥製、鳥の皮等をコレクションし続けました
1880年代までには、このコレクションは、膨大な規模になりそのためサウスケンジントンに新しく建設された自然史博物館へと移送されました
19世紀のロンドン
- 2015.12.01 Tuesday
- 09:05

1841年 ジョセフ・ミード社 ロンドン刊行から
18世紀後期に、イギリスとフランスの考古学者はエジプトの墓を掘削し始めて、古代のエジプトの工芸品とミイラの取引を繰り返しました
薬剤師は、ミイラの粉末を医学レシピに含めたり
裕福な英国の紳士がパーティーを開き、ミイラ解剖を自慢したり、ミイラが高額取引されました
このエジプトのブームは19世紀まで続きました
こちらに描かれたエジプトの部屋は、今日でさえ博物館の中でも最も人気がある部屋のままです
薬剤師は、ミイラの粉末を医学レシピに含めたり
裕福な英国の紳士がパーティーを開き、ミイラ解剖を自慢したり、ミイラが高額取引されました
このエジプトのブームは19世紀まで続きました
こちらに描かれたエジプトの部屋は、今日でさえ博物館の中でも最も人気がある部屋のままです
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19世紀のロンドン
- 2015.11.30 Monday
- 09:47


1841年 ジョセフ・ミード社 ロンドン刊行から
タイトル:エルギン・ギャラリー
1801-1812年から、スコットランドの貴族トーマス・ブルース(エルギン卿)は、ギリシャでパルテノンを復旧することを担当していました。
修復を行っている間、彼はパルテノン帯状装飾からスコットランドへ戻って多数の大理石像を出荷しました。
彼の負債を清算するために、彼は真新しい大英博物館に大理石像を後で売りました。
そして、それらを展示するために特別なホールを建設しました。
今でも、ギリシア政府は、彼らの復帰を要求しています。