バラの女王ジョゼフィーヌ

  • 2015.09.19 Saturday
  • 09:15


画家ダヴィッドの大作 『ナポレオンの戴冠式』から





きらきら今夜、夜9時から〜
 
TBS「世界ふしぎ発見」
 
タイトルは「ナポレオンの幸運の女神 バラの女王ジョゼフィーヌ」


興味深々、じっくり拝見されていただく予定です〜



 番組の予告サイトはこちです右矢印 青http://www.tbs.co.jp/f-hakken/






 

ルドゥーテ物語 最終話

  • 2009.12.27 Sunday
  • 11:08
(昨日につづく・・・・)





1840年6月19日の夕方、ルドゥーテは、美しい白いユリを描き始めました。
これが、彼の遺作となりました。
81歳に近くなっていました。

彼は、マリー・アントワネット王女と后ジョセフィーヌのために花を描き、
2人の王から賞を授与されました。

彼の絵は、宮殿や美術館のいちばん名誉ある場所で見つかります。
世界一有名な花の絵師です。

私たちは、いつまでもルドゥーテの可憐な絵を見るたびに、后ジョセフィーヌや彼女がマルメゾン宮殿で愛し育てた美しい花々と、やさしい画家が一番愛したものを思いおこすことでしょう。



(終わり)拍手


女いかがでしたでしょうか?
原本ご希望でしたら、ご連絡ください。
又、この時代の絵本のご紹介してみます。
皆様、良いお年を〜。

ルドゥーテ物語 第十八話

  • 2009.12.26 Saturday
  • 10:07
(昨日につづく・・・・)





オリオン伯爵の令嬢マリー・ルイズ女王は、彼の優秀な生徒の一人でした。
ベルギーの王との結婚で国を去る前に彼女は、恩師ルドゥーテに花のブーケを描いてあげました。
ルドゥーテは、ますます有名になり、アメリカからは、鳥を描く名手ジョン・ジェームス・オードヴォンが老いた彼に鳥の絵を見せに会いに行きました。

親切なルドゥーテは、美しい絵を愛する彼の友人たちを紹介し、オードヴォンに彼の花の絵をアメリカに持ち帰るようにプレゼントしました。






(明日につづく・・・・)ジョギング

ルドゥーテ物語 第十七話

  • 2009.12.25 Friday
  • 09:55
(昨日につづく・・・・)





しかしながら后の死によってほとんどの収入と友人を失いました。
しかし花々への熱意から、お金に無関心でした。
貯金なしのルドゥーテは、すぐに借金の生活になりました。
最悪なことに新しいフランスの王は、芸術や科学に無関心で、人が高価な本に感銘するのをいやがりました。
マリー・マルテは、心配しました。





ルドゥーテは、王様や植物学者のものでなく、その時代の芸術愛好者のために最も美しい花やフルーツのブーケを描くことを告げました。

そして、パリのおしゃれなご婦人たちに、花の描き方を教えました。
ルドゥーテは、ご婦人たちに
「花々は、地球の星であり、やさしさや愛とともにみちびかれるもの」
と言いました。


(明日につづく・・・・)ジョギング

ルドゥーテ物語 第十六話

  • 2009.12.24 Thursday
  • 13:51
(昨日につづく・・・)





ある日、マルメゾン宮殿のすべての人々が悲しみと心配にくれました。
后ジョセフィーヌの病気です。
彼女は、ルドゥーテを呼びましたが、のどの病気がうつるのを恐れて近くに寄らないようにいいました。
2日後、ジョセフィーヌは、亡くなりました。ルドゥーテは、深い悲しみに嘆きました。





ルドゥーテは、彼の悲しみを、バラを描き続けることに専念して癒してゆきました。
7年間を費やした本は、彼の最高傑作となりました。
人々は、ルドゥーテを「バラのレンブラント」、「バラのラファエロ」と賞賛しました。



(明日につづく・・・・・)ジョギング

ルドゥーテ物語 第十五話

  • 2009.12.23 Wednesday
  • 09:12
(昨日につづく・・・・)




ジョセフィーヌとナポレオンには、彼らの子供がいませんでした。
子供が欲しかった皇帝は、ジョセフィーヌと離婚しました。
彼女のこの悲しみは、彼女が常に愛したバラたちに向きました。
見かねたルドゥーテは、運命的に新しいバラの本の刊行を誓いました。






ルドゥーテの家族や友人達は、彼の探し求めるあらゆるバラの種類を手分けして探しました。
中には、いままで名のないものさえありました。
それらには、良き友である、ムシュー・エリティエや后ジョセフィーヌの名を付けました。
ルドゥーテ本人の名をつけたバラもありました。



(明日につづく・・・・)ジョギング

ルドゥーテ物語 第十四話

  • 2009.12.22 Tuesday
  • 10:52
(昨日につづく・・・・)



ナポレオンとジョセフィーヌは、ルドゥーテの本をヨーロッパ全土の王様や女王様達、図書館、博物館に進呈しました。
先々で、人々にフランスの栄光の芸術と科学を見ていただきたかったからです。




そして、ナポレオンとジョセフィーヌがフランスの皇帝、后に即位した際にルドゥーテを公式の植物画家として任命しました。
この地位の時期は、たいへん良い給料と彼自身の庭園と木々が与えられました。
ルドゥーテは、マリー・アントワネットには、使用人でしたが、后ジョセフィーヌにとっては、友人になりました。


(明日につづく・・・・)ジョギング

ルドゥーテ物語 第十三話

  • 2009.12.21 Monday
  • 09:44
(昨日につづく・・・・)

他の人の刊行した本で数百点の挿絵を描いたルドゥーテは、今度は、自ら本を刊行することにしました。
ユリについて書いた本の「ユリ図譜」は、植物学者にたいへん貢献しました。
本物の花は、研究するために保存や乾燥がたいへんにむずかしいからです。
ルドゥーテは、いままで以上に美しい486点ものユリを描きました。
すべての仕事は、手作業によるもので、完本になるには、14年の歳月がかかりました。




どうようにルドゥーテの本は、つくられたのでしょうか。

1.ルドゥーテが花々を採集する。
2.3名の植物学者が文章を書く。
3.ルドゥーテが、それぞれのユリ、アイリス、チューリップを水彩画の絵具で描く。
4.それぞれの花の銅版を彫る、とがった道具で銅版にこまかい点を刻む。
5.カラーインクで彫りあがった銅版に彩色する。
6.印刷者が上に紙をおき、プレス機で刷る。
7.上から手で彩色を加える。
8.14年間、本を予約した人が毎年、新しいページを受け取りつづける。



(明日につづく・・・・・)ジョギング

ルドゥーテ物語 第十二話

  • 2009.12.20 Sunday
  • 09:36
(昨日につづく・・・・)



ある日、ナポレオンがルドゥーテの仕事ぶりを見に来ました。
「あなたのような才能を持ってなぜ偉大な歴史的事件を描かずに花ごときに時間をかけているのですか?」
とナポレオンは、たずねました。
「花を描くのは、スケールの小さいものかのしれません、しかしこれが私の一番力をそそぐことができることであり、一番愛することなのです」
とルドゥーテは、丁寧に答えました。



(明日につづく・・・・)ジョギング

ルドゥーテ物語 第十一話

  • 2009.12.19 Saturday
  • 10:14
(昨日につづく・・・・・)



10年後、フランス国民は、待望の指導者、ナポレオン・ボナポルト将軍を迎えました。
ナポレオンの妻、ジョセフィーヌは、美しいもの特に花が大好きでした。
ナポレオンが、フランスに法律と規律をもたらしている間、ジョセフィーヌは、彼女の別荘のマルメゾン宮殿に庭園をもたらしました。




そこで、植物図鑑を刊行するにあたり植物学者を雇いました。
彼は、挿絵にためにルドゥーテを呼びました。
ルドゥーテにとってこのことは、この上ない幸せの時でした。


(明日につづく・・・・)ジョギング

ルドゥーテ物語 第十話

  • 2009.12.18 Friday
  • 14:47
(昨日につづく・・・)



ある夜、ルドゥーテは、王室の人たちの囚われている牢屋に彼の絵具と絵筆を用意してほしいとお願いしました。
とういのも、自分も囚われてしまうと思ったからです。




そのような事態の中でも夜、ルドゥーテに王女様が、ちょうど今日に深夜に貴重なサボテンの花の咲くところを描くようにと命じ、たいへんに驚きました。

それが、マリー・アントワネットを見た最後の時でした。
その後すぐに王様とともに処刑されました。


(明日につづく・・・・)ジョギング


ルドゥーテ物語 第九話

  • 2009.12.17 Thursday
  • 14:39
(昨日につづく・・・・)



彼は、王立絵画コレクションの羊革紙(ヴェラム)に花を描く仕事を頼まれました。それは、王様の住むベルサイユ宮殿の中にあるフランスの植物や生物などを収めた図鑑です。
 
その後、マリー・アントワネットにために花の絵を描きました。
この新しい仕事では、あまり良い給料はもらえませんでしたが、ルドゥーテは、とても名誉に思いました。




しかし、1789年にフランス全土で物価や税金が高騰しました。
貧しい人々は、王様や女王様の贅沢な生活のために貧困を強いられる生活に疲れ果てました。
この革命でパリに暴動がおき、王様と女王様は、囚われてしまいました。


(明日につづく・・・・・・)ジョギング

ルドゥーテ物語 第八話

  • 2009.12.16 Wednesday
  • 21:41
(昨日につづく・・・・)



ルドゥーテにとって、一生懸命に描くことは、大好きな趣味のようであり全く仕事をしているような気がしませんでした。
新しいポストへと昇進もして最愛のマリー・マリテとの結婚もしました。
子供たちが生まれると、絵筆が持てる年頃になるのが待ちどおしく思いました。
ルドゥーテは、子供たちに花の描き方のすべてを教えてあげたかったからです。



ムシュー・レリチエは、ルドゥーテをロンドンへ連れて行き、当時ロンドンで有名な学者や画家たちに会わせてあげました。
ルドゥーテは、新しい手法の版画の技術を学び(点刻銅版画=スティップル・エングレーヴィング法)
そして、王立キュー植物園に行き植物を描きました。
レリチエの本が出版されると多くの人々がルドゥーテの美しい挿絵をめあてに本を買い求めました。


(明日につづく・・・・)ジョギング

ルドゥーテ物語 第七話

  • 2009.12.16 Wednesday
  • 09:15
(昨日につづく・・・・)



ある日、見知らぬ人が、若い画家が王立植物園で花を描いているところを見ていました。
ルドゥーテの絵からは、その画家がどんなに花を愛しているのかみてとることができました。
「私は、今新発見の植物についての本を書いているのですが、その本の挿絵を描いてみませんか?」
とその人は、たずねました。
「仕事は、たいへんですよ。でもその分いっぱい支払ますよ。」
この日こそがルドゥーテにとって最良の日でした。

その男の名は、シャルルィ・レリチエといい、第一線で活躍している裕福な植物学者で熱心な植物の研究者でした。




彼は、ルドゥーテに花についてのすべての詳細を近寄ってよく観察するようにと教えました。
近づいて観察すればするほど、その植物の奇跡にふれました。


(明日につづく・・・・)ジョギング

ルドゥーテ物語 第六話

  • 2009.12.15 Tuesday
  • 09:38
(昨日につづく・・・・)



美しい庭園の多いパリが大好きになりました。
劇場での一日の仕事を終えると、ルドゥーテは、もっとも美しいとされるルイ16世の王立植物園へと急ぎます。
ここでまだ日の光のある夕方近くの数時間を惜しんで、地面にすわり、ほんものの花々を描くことに没頭しました。




王立植物園の庭師たちと仲良くなるのは、時間がかかりませんでした。
サン・ユベールの親切な牧師のように、彼らは、ルドゥーテに質問に答え、めずらしい花や特別の愛らしい花などをすぐに見せてもらうことができました。


(明日につづく・・・・・)ジョギング

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